岡山地方裁判所 昭和34年(わ)459号 判決 1966年2月07日
被告人 矢野勝三 吉田芳夫
主文
被告人吉田芳夫を禁錮三月に処する。
この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。
訴訟費用中、国選弁護人家本為一、証人坂崎寛子に支給した分、証人後藤興雄(昭和三七年一一月一四日、昭和三八年一〇月四日各支給分)、同山中晴夫、同大橋忠平に支給した分の各二分の一は、被告人吉田芳夫の負担とする。
被告人矢野勝三は無罪。
理由
(罪となるべき事実)
被告人吉田芳夫は、岡山市下石井所在の両備バス株式会社に雇われ、乗合自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三四年三月二七日午後五時二〇分同市天満屋バスステーシヨン発四軒屋経由三蟠行定期乗合自動車(岡二あ〇二四七号)に運転手として乗務、同自動車を運転し、同日午後五時三五分頃乗客約五〇名を乗車させて同市網浜一三二二番地岡山瓦斯株式会社附近県道上を同市三蟠に向け時速約三〇キロメートルで南進中、同県道上約二七〇メートル前方を反対方向から時速三五キロメートルで北進してくる被告人矢野勝三運転の貨物自動車(岡一す一八一五号)を認め、同県道上にてこれとすれちがうこととなつたが、右両車のほぼ中間地点に当時存した平井幹線第三八号電柱附近の道路有効幅員は約四・九メートル位しかない狭隘な道路であつて、しかも、道路西側は旭川堤防となつて道路より高くなり、又道路東側は道路より約一・八メートル低い空地となつている状況で、右両車が道路の両端極限まで寄つて進行するとしてもその間隔は僅か約二〇センチメートル程度を残すにすぎず、接触の危険が当然予測される反面、右電柱の北方約五〇メートルにある前同第三七号電柱の南北両側には、被告人吉田芳夫よりみて左側にあたる道路東側に、右県道沿いに幅約三ないし四メートル長さ約二〇メートルにわたつて廃土で埋立てられており、車輛の退避可能な場所が存していた一方、前記第三八号電柱より南方の右県道上にはかかる退避可能な場所が存しなかつたのであるから、右退避可能場所附近において被告人矢野勝三運転の前記貨物自動車とすれちがうように、同所附近に自車を徐行ないし停車させて対向車と安全にすれちがつたうえあらためて進行を継続するようにし、もつて事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらずこれを怠り、前記第三八号電柱南側附近において安全にすれちがえるとの軽卒な判断のもとに、右貨物自動車が時速約四〇キロメートルで進行して来ているのを認めながら自車もまた時速約二五キロメートルで進行し、自車を右第三八号電柱南側に進出させようとしたが、右貨物自動車との距離約一〇メートルに接近してようやく危険を感じ急ブレーキをかけたが及ばず、右第三八号電柱南側道路上において停車前自車の車体前部右側を右貨物自動車の車体右中央部に接触させ、ハンドルを左に切つて接触より離脱すると共にその場に停車しようとしたものの、右県道東端の軟弱な路肩に左前輪をのり入れて同車輪を道路より外し、車体を左前方斜下に滑走させて道路東側一・八メートル下方の空地に仰向けに転落させ、よつて自車に乗車中の大西春子外二八名に対し別表記載のとおり全治約三日間ないし全治約五四日間を要する各傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)<省略>
(法令の適用)
判示所為 刑法二一一条前段、五四条一項前段、一〇条(判示大西春子に対する罪の刑に従い、所定刑中禁錮刑選択)
執行猶予 刑法二五条一項一号
訴訟費用の負担 刑事訴訟法一八一条一項本文
(被告人矢野勝三を無罪とする理由)
被告人矢野勝三に対する公訴事実は、「被告人矢野勝三は、岡山市江並所在の株式会社内山コルク工業所に雇われ、貨物自動車運転の業務に従事しているところ、昭和三四年三月二七日午後五時三五分頃同会社所有の貨物自動車(岡一す一八一五号)にコルク製品を高さ地上三メートルまで積載してこれを運転し同市網浜一三二二番地附近県道上を南から北に向け時速約三五キロメートルで進行中、反対方向から被告人吉田が運転する両備バス株式会社の乗合自動車が進行し来るのを認めこれとすれちがうことになつたが、同所は幅員約四・九メートルの狭隘なる道路であつて、両車が道路の両端極限まで寄つて進行するとしてもその間隔は僅か約二〇センチメートルにすぎないので接触の危険が予測されるから、自動車運転者としては一旦停車し、対向車を通過せしめるか又は対向車が停車するのを待つて安全を確認しつつ徐行するなどして事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り右乗合自動車が停車し安全にすれちがいうるものと軽信し、時速約四〇キロメートルに加速して進行し同自動車と約一〇メートルに接近し同自動車が進行し来るのを認め危険を感じ急ブレーキをかけたが、停車前車体後部を右に振つて車体右側を同自動車の車体右側に接触させ、被告人吉田をして把手操作の自由を失わせて同自動車の左車輪を道路より外させ、同自動車を道路東側空地に真逆様に転落させ、よつて同自動車に乗車する大西春子外二八名に対し別表記載の全治三日間ないし全治五四日間を要する各傷害を負わせたものである」というにあり、右公訴事実中、同被告人の注意義務違反の点(後記二の自車後部を右に振つたとの点を含む。)を除くその余の外形的事実は、前掲各証拠によつてこれを認めることができる。
そこで、本件乗合自動車の転落事故につき、被告人矢野勝三に果して過失があるかどうかの点を検討する。
一 本件事故現場附近の道路の状況は、被告人吉田芳夫に対する前記判示(以下単に判示と略す。)中概略示したとおりである。これによれば判示第三八号電柱附近において、本件のようないずれも大型車である貨物自動車と、乗合自動車とが安全にすれちがうことは著しく困難であつて、一歩誤まれば南進する車輛が左側通行を守る限り道路東側下にある空地に転落するおそれが多分に存していたことが認められる。このように対抗困難な本件現場に、いずれも優先通行権のない被告人両名各運転の大型自動車が判示のように対抗進入しようとしたのであつて、しかもほぼ同時にそれぞれ対抗進入してくる大型車のあることを認めたのであるが、かかる場合互に避譲せずまた停車をもしなかつたならば、両車輛のほぼ中間地点附近の判示対抗困難な場所において両車が出会い、その際両車の衝突あるいは接触事故の発生が十分に予想されるのであるから、いずれか一方の車輛が退避可能な場所に前進あるいは後退して避譲し、対抗車と安全にすれちがうようにしなければならぬ義務があると共に、他方の車輛にあつては、右のような相手車の避譲措置に対応しつつ進行して同よう安全にすれちがうようにしなければならぬ義務があると言わなければならない。(本件起訴状によれば、両車輛とも対抗車を発見した各時点において、双方に一旦停車して相手車を通過せしめなければならない義務があるとされているけれども、右時点においてかかる義務を双方に負担させることは失当である。両車が負担する義務は前示のようにその内容において異なるものがあると解する。)
そして、右のような進路避譲義務が両車輛のいずれの側に存するかは一概に決することはできず、本件現場における両車輛の位置、道路の状況等諸般の具体的事情により決すべきものであると考えられる。ところで前掲各証拠によれば、1、判示のように本件事故現場北方、被告人吉田芳夫の運転する乗合自動車に近く、かつその進路前方左側に退避可能と認められる十分な場所があること、2、同所において退避して対抗車の進行を待つよう通行車が同所を利用していた形跡のあることが認められること、3、右現場たる県道を通過しようとする車輛は通常北進する対抗車があるときは、南進車において右退避可能場所に避譲し、対抗車の北進通過を待つて南進するようにしていたものと認めれ、このことは乗合自動車の乗客にさえ知られていたものであること、(滝沢英子の司法巡査に対する、石原典郎、井上恵美子の司法警察員に対する、斉藤由喜枝、高田昭一の検察官に対する、各供述調書等参照)4、被告人両名とも平素判示県道を運行利用しており、右の道路及びその退避のための利用状況を熟知していたと認められること、5、左側通行を守る場合被告人吉田芳夫の進路左側下方に空地があり、同所に転落する危険性は、南進する被告人吉田芳夫の側にあること、6、被告人矢野勝三側においては適当な退避可能場所を求めて後退しなければ避譲しえない状況にあること、がそれぞれ認められるのである。かかる諸点よりすれば前示の進路避譲義務は本件の場合南進車たる被告人吉田芳夫に存していたと認めるのが相当である。他方被告人矢野勝三としては、かかる被告人吉田芳夫の避譲行為を予期し、それを信頼してその動静を注視しつつ前進を続けたとしてもなんら責められる点はないといわなければならない。そして前掲証拠により明らかなように、被告人吉田芳夫は右退避可能場所附近で、幾分減速しつつ多少進路を左に寄せあたかも右場所で避譲するかのように操縦しており、被告人矢野勝三は対抗車のかかる動きを現認したうえ、まさに被告人吉田芳夫が退避のため徐行ないし停止するものなりと信じ、それならば速やかに右離合場所まで前進接近し、安全に離合を終わるべく加速したものであること、が認められるのであつて、この場合の被告人矢野勝三の前進措置はもとより、加速措置とても当を得たものであると言えこそすれ、非難さるべき措置であるとは考えられない。
尤も、被告人吉田芳夫或いは同被告人とともに乗務していた車掌坂崎寛子は、平素判示第三八号電柱南側で避譲していたかのように供述しているが、右は前示のような本件現場附近の道路状況に照らし、対抗車が小型車であれば格別、本件の如き大型車の場合については到底たやすく信用することはできない。
従つて、被告人矢野勝三が、対抗してくる被告人吉田芳夫運転の本件乗合自動車を認めながら、一旦停車或いは徐行の措置をとることなく、むしろかえつて加速しつつそのまま進行を続けたことをもつて同被告人に注意義務違反ありとすることはできないものと言うべきである。
この点につき、被告人矢野勝三は捜査官に対し、自己に過失があつたと思う旨供述しているが、この供述があるからとて右認定を左右するに足りない。
二 次に前掲証拠によれば、被告人矢野勝三は、右のようにして時速約四〇キロメートルに加速して進行中、対抗車との距離約一〇メートルに接近するも、なお対抗車が停止ないし徐行することなく依然約二五キロメートルで進行してくるのを認め、危険を感じ急制動の措置をとつたものであることが認められる。その際、高速中の急制動のため、ないし更には把手を左に切つたことも加わつて、自車の車体後部を右に振り、被告人吉田芳夫運転の乗合自動車の右前部側方に進出せしめ、自車を右乗合自動車に衝突せしめたであろうか。若し、これが肯定されるとすれば、そのような結果を招くに至つた被告人矢野勝三の運転操作につき、あらかじめ減速措置をとらなかつたなど、過失ありとされる余地が存することになる訳である。
しかしながら右の点について当裁判所はこれを否定し、被告人矢野勝三運転の貨物自動車が前記のような急制動ないし転把の措置によつて、その車体後部を右に振つたとの点についてはその証明がないものと考える。即ち、被告人矢野勝三関係において取調べた鑑定人上森清則作成の鑑定書(1、二九六)によれば、本件の如きおおむね平坦かつ乾燥した路面(前掲実況見分調書参照)上においては、右のような被告人矢野勝三の措置によつて、同被告人の運転する貨物自動車の後車軸より後方が、その進行線よりも幾分右側方に出ることはあるけれども、その程度は僅かであること、(最小回転半径の場合においてすら三〇センチメートル右に出るにすぎない。)殊に、後車軸より前方部分が、その進行線より右側方に出ることは自動車の構造上絶対にありえないこと、が認められるのであつて、この鑑定意見は科学的かつ合理的なものとして採るべきであろう。
そして、被告人矢野勝三運転の貨物自動車荷台部分の右側面前車軸と後車軸との間に、被告人吉田芳夫運転の乗合自動車が接触したものであることは、司法警察員作成の昭和三四年三月二八日付実況見分調書添付写真第三、第四(1、三七)、同三月三〇日付実況見分調書添付写真第一三(1、五二)によつて明らかであるから、貨物自動車のこの接触部分が乗合自動車と接触するに至つたのは、右接触部分が右側方に振つて出たためであるとは到底認め難いのである。
尤も、被告人吉田芳夫、同矢野勝三、矢野智之らの捜査官に対する供述調書などには、被告人矢野勝三の貨物自動車が停車直前車体後部を大きく右に振つたとの供述が散見されるが、これらは前述の鑑定結果と、自動車の構造等に照らし、そのまま容認することができない。
従つて、被告人矢野勝三が危険を感じ急制動措置をとり、「停車前車体後部を右に振つた」点についてはその証明は十分でないといわなければならない。
三 最後に、約一〇メートルに接近して初めて危険を感じたのは遅きに失し、今少し早期に危険を発見すべきであつたとして、この点に被告人矢野勝三の過失ありとすることができるであろうかについては、昭和三四年三月三〇日付司法警察員作成の実況見分調書添付見取図にあるように、被告人吉田芳夫が退避するかの如く操作するのを被告人矢野勝三が認めた時の両車の距離は約四一メートルであり、続いて前記一に述べたような被告人矢野勝三の加速前進、被告人吉田芳夫の進行など両名の運転操作が行われたのであり、この間の両車輛の速度などに照らし、その責任を問いえない状況にあつたと認めることを附言する。
四 以上の次第であるから、被告人矢野勝三については罪とならず、又犯罪の証明がないものとして、刑事訴訟法三三六条により無罪の言渡をする。
よつて、主文のとおり判決する。
(裁判官 谷口貞)
別表、参考地形略図<省略>